人口14億人、GDP1,200兆ドル(世界2位)、貿易輸出額2兆ドル(世界1位)。市場開放以来、経済の「巨人」と化していく中国。近年は、中国あるいは中華圏からの訪日観光客の消費が日本経済を刺激しています。世界貿易の巨大ライバルか、はたまた内需拡大の救世主か、「大きな隣人」中国の経済・小売の情報を日中小売業の橋渡し役として最前線に立つ万俊人が解説します。
1.未成熟な市場が成長を遂げた
2000年代の中国
いまや日本の大都市圏だけでなく、全国で中国大陸からの観光客を目にするようになった。「爆買い」と、一部マスメディアに揶揄された時代は過ぎ、着実に経済力を蓄えた中国の人たちは、もはや日本にとって大きな「消費者」になった。かつて「世界の工場」と呼ばれていた中国が、なぜここまでの経済力を持つにいたったのか。きっかけは言わずもがな、2001年末のWTO(世界貿易機関)加盟である。それから18年あまり。中国の国内市場に何が起きていたのか。
WTO加盟以前から先行投資に注力した欧米企業
2001年12月、中国のWTOへの正式加盟が発効し、中国は経済発展を目指して国際的な市場開放に踏み切った。3年以内の貿易自由化、2005年までに輸入割当等の原則撤廃などの経済改善が課せられたが、一気に自由化することで市場に混乱が生じるのを避けるため、関税の引き下げは10年という猶予が与えられ、さらに期間限定ながらも経済的セーフガードなどの保護措置も準備された。
WTO加盟がほぼ確定した2000年頃から現在までの18年あまりを、私は大きく「受入期」「適応期」「成長期」「衰退期」「転換期」の5つに分けられると考える。
現在、世界中で積極的に購買活動を行う中国の消費者が生まれた背景を理解するためにも、まずは2016年までの4つの時期について、それぞれ中国の市場に何が起きていたのか、外資の動きや消費者の意識の変化などを見ていこう。
WTO加盟前の中国の流通といえば、地域に国営企業の店舗が点在している状態だった。店内にはショーケースが並び、消費者はガラス越しに商品を選ぶ光景を、昔の映像などで見たことがある人もいるかもしれない。その他に百貨店や個人経営の小さな店舗もあったが、私たちが見慣れている総合スーパーやドラッグストアはまだこの時期はなかった。
1990年代になると中国市場の自由化を見据えて外資企業が積極的に中国進出を進めたが、それより前の1980年代に、すでにアメリカのP&Gやナイキ、ヨーロッパのユニリーバ、ネスレ、さらには日本の資生堂やカネボウなどが中国に進出していた。
P&Gやユニリーバに代表される欧米の企業は、商品が売れることよりも、どちらかといえば将来に向けた宣伝の意味合いが強かった。1980年代の中国では平均月収が30~50元だったのに対して、例えばラックスの石けんは1個10元、ネスレのコーヒーは1瓶35元だったのだ。一般消費者の手に届くわけがない価格である。それでもブランド名や商品名を中国の消費者の記憶に刻み込むことが優先と考えていた。
いまでこそ、中国で宣伝を行うには大きな予算が必要になるが、当時の宣伝媒体費はまだ微々たるもの。欧米企業は先行投資として惜しみなく商品を投入し、宣伝を打ったのである。一方、資生堂やカネボウは宣伝ではなく、78年の日中平和友好条約など、「政治的な付き合い」の一環で中国に進出している。欧米企業と日本企業の考え方の違いがここにある。
他に繊維や車、部品、電化製品などの製造業が中国に工場を構えた。当時の中国は人件費が安く、それ故に「世界の工場」としての機能を果たしていたのである。その一方で、輸入品は関税が高かったためになかなか国内では流通せず、価格も非常に高価であった。
受入期
2000~03年 売り手側の整備 未熟な買い手
中国のWTO加盟が間近に迫る2000年ごろから、中国市場の外資の「受入期」が始まる。カルフール、テスコ、ウォルマート、イオンなどの小売業者がこぞって流入。今では中国、ヨーロッパに大規模展開するワトソンズをはじめとするドラッグストアよりも、まずはカルフールなどスーパーマーケットが先に進出を果たした。ちなみに2003年にはカルフールは、杭州に中国国内40店目を開業している。ブランドでいえば、シャネル、ディオールなどの超一流のアイテムだけでなく、ジョンソン・エンド・ジョンソン、ロレアル、花王など日雑系も店頭に商品が並ぶようになった。
<この時期の主な消費者層>
当時、一番お金を使う層は1950年代生まれ、60年代生まれの人たちだった。そのころ40~50歳前後の人たちだ。収入が安定している官僚だけでなく、個人で会社を作ることができるようになったことで経営者が数多く生まれ、経済力を持ち始めた。この人たちが、この時期以降に押し寄せる外資の主要な消費者となった。
<購買習慣の変化>
1949年から80年まで、中国はまるで「鎖国」のようなムードにあった。混沌とした時代である。そのころに生まれ、育ち、大人になった50年代生まれ、60年代生まれの消費者たちは、2000年を迎えてさえも、古い生活習慣や消費の観念を捨て去れずにいた。お金の使い方を知らない世代、とも言えるだろう。一例を挙げると、品質の問題もあったと思うが、当時石けんで顔を洗うという習慣はなく、いまでこそ一般的になった「洗顔石けん」は使い方が理解されず、当然まったく売れなかった。
<輸入品の販売地域>
地域の差は歴然として大きかった。1980年代から特区として別格の扱いを受けていた深圳を筆頭に、市場開放の前から貿易が活発で、工場が数多く並ぶ沿岸地域は栄え、貧しい北部や内陸地域の人々は少しでも多く稼ぐために、沿岸地域の工場へ出稼ぎに行くしかなかった。それ故に人が集まり、沿岸地域はさらに活性化していた。
当然ながら、百貨店や外資系の総合スーパーは沿岸都市部に集中し、消費者はそこで輸入品を購入したのである。外資系のスーパーではオープンな棚に商品が並び、商品を自由に手に取れるようになっていた。それまでガラスのショーウインドー越しに商品を選んでいた中国の人たちにとって驚きであり、楽しみにもなった。
適応期
2004~07 売り手の混乱 システム構築
外資の流入の次に起きたのは、商習慣の違いによる混乱である。
フランス、アメリカ、台湾、香港など、各国の外資系企業がそれぞれの国の経営手法や商習慣をそのまま中国に持ち込み、自分たちの決めたルールで取引を始めた。やり方が違う同士が交渉をするのだから、当然、混乱が起きた。
リベートはどのくらいにするのか、そもそもリベートをどういう項目として支払うのか、販促金か広告費か税金か、それによって税率や利益率が変わって、ひとつ間違うと企業は大きな赤字を抱えることとなる。リベートに代表される、経営や商習慣の違いを調整して、一つずつ詰めていくのが営業の仕事だったが、日本企業は当時、欧米の企業に比べて柔軟性が足りなかったために、相当痛い目を見たはずだ。
もう一つの大きな問題として人材管理というテーマもあった。1950年代生まれ、1960年代生まれの人たちは過去の働き方から脱皮できずにいる。指示したことをしない、仕事をせずにお茶を飲んでいる、そういう人が多かった。外資企業は国営企業と違って雇用契約を結んでいるので、働かない人はやめさせるという手法も取れたが、そんな単純な話ではない。働かない人を働かせるため、どの企業も頭を悩ませていた。
中国には大きな市場がある。それは分かっていても、どこでどうやって売るのか、流通を誰に任せて、どのように取引をするのか、どのように経営していくのかのルールがなく、イチから組み立てる必要があった。混在する多様なルールを調整し、システムを作っていった時代といえるだろう。
<この時期の主な消費者層>
前述の1950年代生まれ、1960年代生まれに加えて、1970年代生まれ(30歳前後)が登場する。給料は高くなってきたとはいえ、現在に比べたらまだ低かった。一流企業に勤めていればそこそこの生活はできるものの、輸入品はいまだ高価な時期。日本では500円前後のシャンプーやリンスが中国に輸入されると1000円ほどとなり、一般の消費者には気軽に買える値段ではない。
<購買習慣の変化>
大きな購買力を持った1950年代生まれ、1960年代生まれの人たちは、引き続き自分の生活習慣や消費の考え方を変えることができずにいたが、時間の経過とともに輸入品に対する認識は大幅に向上してきた。1970年代生まれの人たちは海外からの情報に慣れており、輸入品への抵抗感もないことから、1950年代生まれ、1960年代生まれの人たちもその影響を受け始めるのがこの時期である。それでも商品に関する知識や理解はまだまだ弱く、多くの人が商品の良しあしを価格で判断する傾向にあった。
<輸入品の販売地域>
受入期とほぼ変わらない。消費者は沿岸部の都市に集中する百貨店、外資系の総合スーパー、ワトソンズなどのドラッグストアで輸入品を購入していた。ちなみに2007年にワトソンズは約300店舗、カルフールは約80店舗を展開している。
<外資の宣伝メディア>
従来通りのテレビ、新聞、雑誌、看板。中国市場がめざましい躍進を見せるのは、2008年以降から始まる「成長期」である。消費者の意識も変化し、中国での販売システムを作り上げた外資は内陸へと手を広げていく。ネット販売も始まり、中国市場はさらに拡大していく。
2.沿岸から内陸へ、変化する中国経済
WTO(世界貿易機関)加盟から18年近く。かつては安い労働力を求めて海外企業の工場が林立した中国は、着実に経済力を蓄え、いまや大陸内だけでなく世界中で消費活動を行うほどの力を持つに至った。前回はWTO加盟直前から始まった「受入期」とそれに続く「適応期」について話をした。2回目となる今回は、2008年ごろから始まる「成長期」、そして「衰退期」へと話を進める。
WTO加盟後の中国の市場は、前回お話ししたとおり、「受入期」「適応期」「成長期」「衰退期」という段階を踏んで変化を遂げてきた。WTO加盟直前の2000年頃から海外企業が一気に流入。企業側も消費者も、初めて体験する経済変化の中で、大きく混乱した。しかし時がたち、企業も消費者も成長するにつれ、次第に落ち着きを見せ始める。そして2008年ごろになると、まるで春を迎えた桜のように、中国市場は一気に花開くのである。
成長期
2008~2012年 経済の著しい成長、内陸への拡大
中国市場は2008年を向かえるころから「成長期」に入り、GDPは急な上り坂のカーブを描いて伸びた。ちょうどその年、世界市場はリーマンショックにより致命的な打撃を受けたが、当時の中国には信用取引というものがほとんどなかったために、株を所有していた一部の層以外に大きな影響はなかったのも幸いしたかもしれない。それまで続いていた「適応期」の混乱は、この時点でクリアになったわけではなかったが、取引の手法は徐々に足並みが揃い始め、企業もやり方に慣れて落ち着きを見せていた。
物流面でも、それまでは倉庫、トラックいずれも整備されていなかったために、例えば東北地方に移動させた商品が、マイナス30度という環境で凍ってしまってダメになってしまうなどのトラブルが起きていた。それが整備され、きちんとした商品が適正に管理されて流通するようになるのがこの時期である。特筆すべきは、化粧品専門店(CS)の登場だろう。年配のオーナーが経営するパパママ系とは違い、20~30代の若いオーナーが経営しているのが特徴で、現在30万~40万店舗あるとされている。分かりやすいところで言えば香港の化粧品専門店「Sasa」のような業態である。1980~90年代に急成長したが、WTO加盟後、化粧品メーカー各社が、店舗数の多いこのCSに目を付け、新たなチャネルとして開拓を試みた。
しかしここに一つ問題があった。CSに並ぶ商品は必ずしも正規品ではなく、コピー商品や正規の仕入れを経ていない「横流し商品」も多く含まれていた。それが化粧品メーカーにお墨付きをもらって正規品の代理店になるというねじれが生まれた。案の定、適応期には代理店の看板のもとコピー商品を売るという事態も発生し混乱したが、ようやく安定。「成長期」に急成長した業態と言える。
消費者について言えば、経済の中心でもあった沿岸地域を中心に不動産の価値が上昇し、不動産で資産を増やす人たちも現れた。こうして各業界が成長し、うまく回り始めると、収入も雇用も増え、それがさらに消費の拡大につながった。経済的に一番良い時期だったと言えるだろう。
こうして沿岸地域は成熟期を迎えたが、同時に不動産価値の高まりは企業の経営を圧迫し始めた。製造業は不動産の安い内陸を開拓。内陸に工場が建設され、そこに雇用が生まれ、その周りに店舗も増えていく。それまで沿岸地域に人手を奪われるだけだった内陸が、経済発展の次の中心地として表舞台に立ったのである。
<主な消費者層>
消費の中心であった50年代生まれのボリュームが減り、代わりに80年代生まれ(20代)が登場する。
<購買習慣の変化>
収入が増加し、安定してきたことで、これまでは手が出なかった高価な輸入品の需要が高まり、種類も豊富になる。インターネットの浸透で商品に対する情報はたくさん入るようになり、20代、30代は古い習慣にとらわれることがなかったため、輸入品、海外企業の商品を抵抗なく受け入れるようになった。
<輸入品の販売地域>
それまでの沿岸地域偏向から、内陸の主要都市へと拡大。百貨店、外資系総合スーパー、ドラッグストアの他に、化粧品専門店(CS)、そしてオンライン販売(EC)が現れる。2012年末、香港系ドラッグストア、ワトソンズの中国店舗数は約1500店舗。フランスのカルフールは2013年末に236店を数えた。
衰退期
2013~16年 百貨店、スーパーの収縮、ECの台頭
2013年ごろから、市場は「衰退期」に突入した。爆発的に発展してきたように見えていたのがなぜ「衰退」したのか。
どの業態も売上は上がり、中国の経済力はさらに強固なものになっていたが、不動産価値の高騰と人件費の高騰により、店舗経営は大きなダメージを受けた。百貨店や総合スーパーなどの大規模な業態は中心地から撤退し、郊外型への転換を余儀なくされたのだ。日本やアメリカでは数十年の時間をかけて起きたことが、中国ではほんの数年の間に、まるで早送りのように起きてしまったのである。
いまでは、沿岸地域の飲食店は求人募集をしても働き手が見つからないくらいに人手不足に陥っている。それまでは内陸から出稼ぎに来ていた人たちで補っていた人手を、いまはフィリピンやマレーシアの人たちが補っている。これも日本と似た状態であろう。
一方、面積の小さいドラッグストア(DgS)やCSは比較的安定していた。中でも伸びているDgSのワトソンズは、売場をカテゴリー、サブカテゴリーといった基準で分けせず、「一什器一企業」、すなわち一つの什器をまるまる一つのメーカーに任せるという、場所貸しのような形態を取っている。この手法で大きな売上げを上げているのも事実だが、カテゴリーを育てていく方向に転換しないと、将来的な伸びは見込めないだろう。しかし、一度できてしまった形を変換させるのは容易なことではないようだ。
そしてここに、EC(オンライン通販)という新たな障壁が登場する。2013年ごろの通信手段はスマートフォン(スマホ)ではなく、まだパソコンが中心で、商品は価格が勝負だった。またこの時代に生まれたのが個人輸入代行だ。個人や中小企業がごく小規模に海外の商品を輸入し、中国国内に届けていた。日本で中国人観光客の「爆買い」と揶揄されたのは2015年ごろのこと。人気のある日本製の商品を大量購入して転売する。そうした販売網を成立させていたのもインターネットだった。
これ以降、ECは猛烈な勢いで売上を伸ばしていく。百貨店、総合スーパー、DgSといった業態はことごとく、ECの成長に伴って打撃を受けることになるのである。
<主な消費者層>
ECの普及などもあり、消費者層に新たに、パソコンに抵抗のない90年代生まれ(20代)が加わる。90年代生まれは物心ついたときにはすでに中国が発展を始めており、中国が停滞した時代を知らない。一人っ子が多いため、望めば何でも手に入る世代、日本で言えば団塊ジュニアのような位置づけと言える。以後、パソコンであらゆる情報を手に入れられる世代が増えていく。
<購買習慣の変化>
若年層のEC消費が拡大し、海外から商品を取り寄せる「個人輸入代行」が伸び始める。これが後の越境ECの成長につながることになる。
<輸入品の販売地域>
大規模な店舗を構える百貨店、総合スーパーは沿岸の中心地から内陸の郊外型への転換が進んだ。面積の小さなドラッグストアやCSは比較的安定を見せている。2016年、ワトソンズの中国国内店舗数は2,500店舗を超えたが、客単価は100元代で伸び悩んでいる。カルフールをはじめとする総合スーパーは成長が緩やかになり、経営不振に陥り始める。
<外資の宣伝メディア>
テレビ、新聞、雑誌、看板、インターネット、口コミ。
ECにとっては「成長期」の始まり
WTO加盟後の中国市場はこの様に、4つのステップを踏んで成長してきた。2013~16年を「衰退期」としたが、これはあくまで、これまであった業態から考えたときの表現である。ECの観点から言えば、成長期とも言えるだろう。パソコンの普及に伴って、若い世代を中心にEC消費は伸びを見せはじめ、やがてスマホの登場でECという新しい業態は爆発的な飛躍を遂げることになる。この時期、中国にはすでにアリババ系をはじめとして、10以上のECサイトが生まれている。ECが中国市場にもたらした変革について次項で詳しく見ていく。
3.リアル店舗の衰退と中国ECの抱える課題
今回はECの台頭もからめながら、中国小売業が「衰退期」から「転換期」へ移りゆく様子を見ていきます。ECの登場により、大きく変化する中国の人々の購買行動。内陸部ではCSと呼ばれる化粧品専門店が転換点を迎え、ECの激安価格にリアル店舗も押されています。
リアル店舗の衰退
中国市場の転換期は2017年頃から始まりました。きっかけは大きく2つあります。
一つは「成長期」から始まった内陸部の発展です。中国経済の発展に伴い、沿岸部における物件の家賃、人件費が大きく高騰し、少しでもコストを下げるために、多くの企業が内陸部へ工場を移転させました。それに伴い、小売業の店舗も内陸へと広がっています。それまで沿岸部に出稼ぎに来ていた人材が内陸部にとどまり、店舗が増え、経済活動が活発化することで、内陸部はさらに発展し、その傾向は「衰退期」になるとより顕著になりました。
もう一つは、ECの出現です。中国の2大ECとして知られている「天猫(Tmall)」(アリババグループ)と「京東(JD.com)」は、衰退期が始まる2013年頃から本格的に軌道に乗り、それに続くスマホの普及で、爆発的な飛躍を遂げました。なかでも中国EC市場のシェアのおよそ半分を握っているTmallは、その集客力を目当てに、小売業者は保証金や年会費を支払って出店するため、安定した基盤を作り上げています。
これによって、特に沿岸地域のリアル店舗は衰退の一途をたどります。これが私のいう中国経済(リアル小売店舗)の衰退期です。かつては消費者の憧れの的だった百貨店も、大都市圏では店舗こそ保っているものの売上は上がらず、個人的な印象でいえば、もはや「全滅」に近い。百貨店の衰退は日本でも見られますが、中国では日本で数十年かかった変化を、ほんの十数年で経験してしまったのです。
地方を握るCS(化粧品専門店)
では、発展を見せている内陸部や地方部ではどうでしょうか。
地方部では、前回紹介した「化粧品専門店(CS)」という業態が全国に20万前後展開しており、沿岸部から内陸に進出してきたワトソンズもかなわない力を持っています。CSの賢い点は、むやみに全国展開をするのではなく、自分たちがおさえている地盤から極力外には出ないことです。ちなみに大手CSチェーン「GIALEN」は広州市発祥で、広東省を地盤としており、広東省の人口は1億1,000万人です。CSは自分たちのエリアにどんな客層がいて、どんな商品が売れるかを熟知しています。出店の際には、優良な物件の情報も手に入ります。そこが、後発のワトソンズにはない強い「地盤」という側面です。
さてCSは、WHO加盟以前は偽物や横流し品も販売していたために、モノによっては7〜8割という常識外れの高い粗利益率を上げていました。そういう商品もあるので、全体の利益率も相当に高いものでした。残念ながらいまだにその意識が抜けない経営者も多く、外資系のメーカーに対して、高い利益率を求めることは少なくありません。そのために交渉がまとまらず、CSの店頭に並ぶ商品はP&Gやジョンソン・エンド・ジョンソンといった、低い利益率でも大量販売することで採算が取れる大手外資系メーカーか、低コストで運営しているローカルメーカーの商品に限られてしまっています。限られたメーカー、ブランドしか店頭に並ばないという状態では、たとえ強い地盤を持つCSであっても安穏とはしていられないはずです。現在の内陸や地方の消費者は買物の経験が浅く、経済的に豊かになっていても商品に対する知識は、まだ10年以上前の沿岸部のそれに等しいのです。
また、中高年の消費者がスマホで情報を得ることもまだむずかしい状況です。だからこそ、CSは彼らを相手にこれまで通りのビジネスを続けられています。しかし時代は加速度的に進んでおり、遠くない将来には地方の消費者もいまの沿岸部のように成長し、商品の見極めができるようになってくるでしょう。その時に、CSが今のまま変わらずにいれば、見向きもされなくなってしまいます。こうした事態になることを恐れて、CSも日本のドラッグストア(DgS)を見習い、店舗デザインや陳列を変えるなどしていますが、一朝一夕にできるはずもありません。いま、彼らにとっての転換期を迎えていると言えるでしょう。
異常なECの安売りで売上を落とすリアル店舗
中国のECの台頭で目に付くのは、「激安」価格です。日本では、リアル店舗の価格とネット通販での価格は、特に理由がない限りはせいぜい10%ほどの違いではないでしょうか。しかし中国の「激安」はレベルが違います。これは極端な話ですか、100で仕入れた商品を50で売る、というような手法もとられているのです。EC事業者が重視するのはシェアであって利益ではないのです。シェア拡大を目的とした異常な安売りで、売上を落とすリアル店舗が続出しました。
中国では国内外のファンドが投資先を探しており、EC事業者はその格好のターゲットです。将来性を見込まれて企画が通ったビジネスは、評価が高ければ中国市場に注目している世界中のファンドが出資し、バックアップします。そして生き残り、さらなる成長が見られれば、有望だと判断されてより多くの出資が見込めます。そのためにEC事業者は少しでも多くのシェアを取って自社の価値を上げる必要があります。商品価格を赤字覚悟で下げてでも売上を取ろうとする理由はここにあります。リアル店舗が売上で運営されるのとは全く次元の違う世界が広がっているのです。
ファンドの介入は、中国のビジネスを変化させました。新たなビジネスアイデアを提案し、ファンドから出資を募る。中国という巨大な市場を背景に、パワーポイントの企画書だけで莫大な金が事業資金として入ってくるのです。私はこの状況をあまり好ましく思っていません。ファンドから投資を受けようとする若い人たちは、事業そのものより、投資を受けること、お金そのものに関心があるように見えるからです。もう一つ、ECでやめた方がいいと思っていることがあります。毎年11月11日に行われる「ダブルイレブン」商戦です。2017年のダブルイレブンでは、Tmallでの取引総額がなんと1,682億元(約2兆7,000億円)。その数字は日本でも衝撃をもって報じられました。ダブルイレブンは、もともとはアメリカの「ブラックフライデー」からヒントを得たもの。しかし、ブラックフライデーは衣料品を中心とした商品回転率の遅い商品の在庫処分セールであるのに対して、中国のダブルイレブンは日用品など通常商品の大幅な値下げです。需要の先食いに過ぎません。ダブルイレブン前の1カ月間ほどは、消費者はダブルイレブンを見越して買い控えをし、ダブルイレブンで思う存分買物をした後は、さらに1カ月間ほど買物をしない期間が続きます。魔の2カ月間と言ってもいいでしょう。当然、リアル店舗にもその影響は及び、売上を直撃するのです。あたかも活発な経済活動が行われているかのように見える特売商戦ですが、小売業の視点から考えると、残念ながら悪しき習慣でしかないと思っています。
私から見ると、中国のECはこのように様々な意味で課題を抱えているのです。
4.ECへの警鐘とリアル店舗への回帰
2001年の中国のWTO(世界貿易機関)加盟から大きく変化を見せてきた中国経済。ECの隆盛によるリアル店舗の衰退を経て、いま経済の視線は再度リアル店舗に戻っています。今回は2017年ごろから始まった「転換期」についてお話しましょう。
ECからリアル店舗へ
いま、中国のECはシェアを上げるために極端な安売りを続けています。これはどこかで限界が来るのではないかと思っています。商品を提供するメーカーは売上こそ上がりますが、利益がとれていません。大きな売上があるので引くにも引けないし、販促金や割引などEC側の要求も次第に大きくなる。このままでは行き詰まると危機感を持っている企業も少なくないでしょう。
ただ、私はECに問題があるからECは必要ないと言っている訳ではありません。時間がないとき、重い商品を買うときなどECはとても便利です。私も利用しています。しかし、「リアル店舗つぶし」のような極端な安売りで集客するというやり方は、どこかで破綻しかねないし、リアル店舗の空洞化を生みます。
日本のようにECがリアル店舗より10%程度安くて、どちらで買うかは消費者の選択次第という競合関係はとても大切です。ECもリアル店舗も買物の選択肢として共存することが望ましいのです。そして、私の持論ですが、ECがいくら発達してもリアル店舗は絶対になくなりません。
実際に中国ではEC最大手のアリババが中国最大手のハイパーマーケットチェーンのサンアート・リテールを買収しました。アリババは百貨店も買収しておりリアル店舗へ積極的に進出しています。その他、地方を中心に若い人がCS(化粧品専門店)を始めたり、リアル店舗にも動きがあります。
このように活気を取り戻しつつあるリアル店舗ですが、いくつか問題もあります。都市部では家賃、人件費など販管費が高騰しているのでECとの価格差が縮まらない。バイヤーをはじめとする多くのリアル店舗の経験者がECに引き抜かれて、人材不足になっていることなどです。
加えて、ECから来た人たちが「新小売(中国語:新零售)」と称して様々な新しいビジネスモデルを展開しています。「体験店」といって商品を試せることをウリした店舗、ショッピングモールなどに短期間出店する小型店などがそれにあたります。残念ながらいずれも長続きせず、アイデア、コンセプトでファンドから資金を引き出すECの手法をリアル店舗で応用しているように私には見えます。
課題も抱えつつ動いている中国のリアル店舗ですが、今後、中国の都市部では50〜100坪くらいの小回りのきく店舗に可能性があります。それには日本のDgS(ドラッグストア)のビジネスモデルが最適なのです。
これからの中国小売業は日本に学ぶ
可能性があるからと言って、日本のDgSのビジネスモデルをそのまま持ってきても通用しないでしょう。日本の小売業はアメリカから学んでいますが、日本流にアレンジすることで成功しています。同じように日本で成功しているDgSをそのまま持ってくるだけではうまくいきません。中国に合ったアレンジが必要なのです。カテゴリーの考え方、陳列方法、接客・サービス、地域密着、こうした日本のDgSの要素を現地に合わせて調整する。それも場所や客層ごとに細かく調整する必要があります。日本のDgS関係者は薬局から始めた方が多いので、中国に進出すると医薬品の販売にこだわります。しかし、中国の薬局の多くは国営で、問屋も国営です。したがって売価や利益率がある程度決まっており、あまり利益が出ません。
医薬品を販売してもいいのですが、構成比は絞って化粧品を主力にした方がよいでしょう。そこに雑貨や食品をどう組み合わせるか。また、商品がすべてメイドインジャパンでは、高すぎて地域密着になりません。地域に住む様々な層の方が気軽に日常的に買物できる店でなくてはいけません。
このような視点で、日本のDgSの要素を一度分解して、立地やお客様に合わせて再度、細かく組立て直す必要があるのです。小売業だけでなく、メーカーもどの商品が中国に合うかを見極めなくてはいけません。企業ごとではなく、店ごと案件ごとの調整が必要なのです。中国のCSの経営者などは日本に行き、日本のDgSのようになりたいと思っています。日本のDgSのビジネスモデルを中国流に最適化できた企業は大きな成功を納めるでしょう。
5.越境ECで日本企業の中国ビジネスが危機に追い込まれているという意外な事実
日本の企業が中国の消費者に商品を販売する形は大きく分けて3つあります。「インバウンド」「越境EC」そして「中国国内での正規輸入販売」です。いずれのチャネルも成果を挙げていますが、3つをうまく連携することがさらに大きなチャンスを生み出します。それはなぜか。2回に分けてお話ししていきます。
企業が中国で販売する3つのルート
インバウンドとは、旅行なり出張なりで日本を訪れている海外の人が、滞在中に消費すること。中国、台湾、香港この3つの国と地域からの訪日旅行者数は、全体の約半分を占めています。
越境ECとは、海外企業がその国のネット通販(EC)に出店して、商品を海外(在庫が海外または保税倉庫)から消費者に直送すること。この連載では、中国における越境ECに限った説明をします。そして、中国国内での正規輸入販売とは、日本企業が正規に(商品の輸入販売許可を取得し、正規輸入通関で在庫が中国国内にあること)商品を販売するルートのことです。
ひとつひとつ、その特徴を説明していきましょう。
まずインバウンドは2015年ごろ、中国人観光客による「爆買い」と揶揄された現象から、日本に浸透してきたように思います。中国のネットが発信した「日本で買うべき商品」という情報から、「神薬12選」という言葉も生まれました。
観光客にとっては、日本の商品を日本での価格で購入でき、免税手続きをすればさらに若干安くなるだけでなく、自分で持ち帰るので送料なども基本的にかかりません。日本の商品を中国国内で買うより確実に安く手に入れることができますし、中国では入手できない商品も購入できます。
問題があるとすれば、日本の商品の多くが日本語でしか説明が書かれておらず、多くの中国人には使い方が分からないということです。だからこそ、神薬12選のようにネットですでに話題になっている商品が売れ筋になりますし、中国語で商品について発信してくれる「KOL(Key Opinion Leader、インフルエンサー)」と呼ばれる人たちの存在は大きいといえます。
この問題の解決のために、私はスマホで日本の医薬品や化粧品のバーコードを読み込むと、画面に中国語の説明が表示される「集匠」というアプリを昨年つくりました。
2つめの越境ECについては、海外企業が中国で商品を販売する許認可の必要がなく、簡単に中国市場に商品を流通させることができる効率的な手段です。中国の消費者はこの越境ECを利用することで、中国国内にいながらにして海外の商品を購入することができます。アリババの運営するTモール国際(天猫国際)が代表的なサイトです。
発送に関しては、海外に保管してある商品を直接送る「直送モデル」と、中国国内にいくつかある保税区と呼ばれる場所に商品を保管しておき、そこから送る「保税区モデル」という2つの種類があります。いずれの形も、郵送や宅配便によって購入者の手元に商品が届けられます。直送の場合は1週間単位で輸送に時間がかかり、送料も加算されます。購入した商品の種類や量によっては、別途関税がかかることがあります。
3つめの中国国内での正規輸入販売は、海外企業が中国に子会社を設立したり、代理店を置くなどして、正規のルートで商品を店舗に並べることです。WTO加盟以前から一部の大手海外企業が中国国内に進出していましたが、加盟以降、進出企業の数は爆発的に増えています。在庫は当然ながら中国国内にあり、中国で販売するための許認可の取得、関税、物流、プロモーション、人件費などの費用がかかっていますので、日本での販売価格の1.5~2倍になるのが通常です。
食い合いをする越境ECと正規輸入販売
ここで、ひとつ問題が起こります。
インバウンドは旅行者による消費ですから、いたって自然な形です。日本の経済的にも、企業としても歓迎すべき行動です。
また、越境ECの利用者の4割が、日本に旅行をして商品を購入した経験があるという調査結果(日本貿易振興機構調べ)もあり、インバウンドから越境ECへという消費者の流れができていることが分かります。どんなに日本に旅行する中国人が増えたといっても、全人口が14億人に届こうとする中国では、1年間に日本に旅行する数は人口の1%以下。越境ECの利用者は分母が違います。インバウンドから越境ECへの流れは、企業にとってチャンスが広がることを意味しています。
しかし一方で、越境ECはもう一つのルートである中国国内での正規輸入販売と、完全にお客の取り合いになってしまうのです。
先ほど話したように、越境ECを使えば、企業は日本国内にいながらネット上で出品・販売までこぎ着けることができます。出店料やある程度のプロモーション費はかかったとしても、正規輸入販売の値段よりもはるかに安い値付けができるため、目先のことしか見えていないと、例えばリアル店舗で100元の商品を90元や80元、もしかしたら60元ぐらいの値段で販売してしまう可能性もあります。すると当然ながら、正規輸入販売のお客を越境ECが奪ってしまうことになるのです。
実際この矛盾は、越境ECを行っている多くの日本企業で起きています。莫大な時間と労力をかけて中国に進出し、リアル店舗を構えているにもかかわらず、同業他社とではなく、よりによって同じ社内の別な部署とお客の奪い合いをしている状況は、残念としかいいようがありません。企業によっては状況は深刻です。
それでは、越境ECと中国国内での正規輸入販売が対立せず、共存できる方法はあるのでしょうか。それこそが私が考える「チャンスへつなげる3つの連携」です。次回はその共存への道を考えたいと思います。
6.「メイド・イン・ジャパン」のチャンスを中国で広げるたった一つの方法
前回は、中国の消費者に商品を販売する3つのルートと、その関係性を紹介しました。中国に進出している日本の大手企業の多くが、この3つのルートをすでに利用しています。しかし特に越境ECと中国国内での正規輸入販売は、対立の構造になりがちです。今回は、この対立を解消させる方法を考えてみましょう。
越境ECで売れ始めたら販売をやめるべき!
その方法とは、「越境ECは、テスト販売に徹する」ということです。とてもシンプルで、導入しやすく、マーケティングとしても効率的で優れた方法です。
日本の企業が中国に進出して店舗で商品を販売できるようになるまでのステップを考えてみましょう。
中国に子会社をつくるか、代理店を使うかして、現地で莫大なコストを投じてマーケティングリサーチを行い、販売する自社商品を決め、中国政府の許認可を取得。ここに1年ほどの時間が費やされます。許認可を受けたら、店舗をつくるか、販売してくれる店舗を探して交渉をします。店頭に商品が並ぶまでに、さらに1年半以上の時間がかかるでしょう。
販売が決まると、輸送費、在庫の保管の経費、プロモーション費が企業の負担として積み重なっていきます。ここまでの時間と費用をかけて販路に乗せた商品が一度当たれば大きな利益を生みますが、売れなければ大きな赤字だけが残ります。中国国内での正規輸入販売を行うことは、大きな賭けなのです。
しかしここで、前回お話しした「インバウンドから越境ECへの流れ」を思い出してください。観光で日本を訪れた中国人は、DgSで購入したものを帰国してからも越境ECでリピート購入をしています。この流れを中国国内での正規輸入販売につなげることはできないのでしょうか。つまり、越境ECで日本企業がテスト販売した商品を購入した消費者が、中国国内での正規輸入販売でリピート購入するようにつなげるのです。しかも、越境ECと正規輸入販売が食い合わずに。
そのための必須条件は、「(1)越境ECでは中国国内の正規輸入販売の価格よりも安くしないこと」と、「(2)越境ECである程度売れることが分かったら、輸入販売許認可を取得した時点でその商品の越境ECでの販売はやめること」です。
(1)は分かりやすいでしょう。中国国内の店舗で50元で売っている商品を、越境ECで30元で売ってしまったら、消費者は「その商品は30元の価値」と記憶します。正規輸入販売店で同じ商品を見かけても、50元の値段だったら、「なんだ、この店で買うと高いんだな」となるでしょう。
しかし、もし越境ECでも正規輸入販売店と同じ50元で売っていれば、そこで買えば配達を待つことなくすぐ手に入れて使えるのですから、買ってみようという気持ちになります。そのとき、店員から商品についてのアドバイスも受けることもできるでしょう。店員の対応に好感が持てれば、次もここで買おうとなるかもしれません。これが越境ECにはできない正規輸入販売店、つまり「リアル店舗」の強みです。
「越境ECはテスト販売」に徹しよう
もう一つの「その商品の販売はやめる」というのは、どういうことでしょうか。売れているのになぜ販売をやめるのか、と疑問を持たれるかもしれません。
越境ECである程度売れたということは、消費者にその商品が浸透してきた証拠です。販路を正規輸入販売店=リアル店舗に絞り、越境ECから中国国内にある正規輸入販売店に消費者を誘導します。そして越境ECでは、まだ中国では販売していない、これから販売していきたいと考える商品に差し替えるのです。
すなわち、「越境ECのテスト販売化」です。日本では、商品は毎月のように新しいものが発売されています。次から次へ、新しい商品を越境ECでテスト販売し、売れるようになったら中国国内にある正規輸入販売店にその商品を託して、越境ECではまた次の新しい商品を提案していくのです。
先ほどお話ししたように、中国国内で正規輸入商品を売るのは賭けのようなもの。挑戦したもののうまくいかず、大きな赤字を残したまま中国進出を諦めてしまった日本企業もたくさんあります。中国進出そのものに、アレルギーのような反応を見せる日本企業もあります。しかし、越境ECをテスト販売に使えば、進出にかかる費用は大きく削減できるだけではなく、見込み客に商品を知ってもらい、買って試してもらえるチャンスが生まれるのです。
海外企業は中国市場に商品を投入する前にマーケティングリサーチを行いますが、私は「これは無駄である」と言い続けてきました。なぜなら、近年大きな経済成長を見せているとはいえ、中国国内ではまだ貧富の差は大きいのが実情です。例えば「都心で働く25歳までのひとり暮らしの女性」を調査対象に日本の商品の使用感を聞いたとしても、まだ働き始めて間もない若者たちが、高価な日本の商品の善し悪しを判断できるとは限らないのです。その結果、残念ながら信憑性に大きく欠ける報告書ができあがるのです。それを基に中国進出の戦略を立てるのですから、中国進出が「賭け」になってしまうのは当然のことです。
しかし越境ECを使えば、商品を売りながら、マーケティングリサーチができるのです。しかもリサーチ対象は実際に使っている消費者ですから、より説得力のあるデータが集まります。越境ECでテスト販売をして消費者の反応を探り、成功した商品を中国国内での正規輸入販売に導入するという連携さえつくり上げてしまえば、売れなかったときのことを心配して及び腰になることもなく、自信を持って許認可の申請をして、商品を店舗に並べることができます。店頭に並んだら越境ECからは撤去することで、正規輸入販売との食い合いに歯止めをかけることができます。
なぜわざわざ、すでに中国国内の店舗で売れている商品を越境ECで扱って、越境ECと店舗を対立させるのでしょう? 越境ECをうまく利用すれば、中国市場の開拓がスムーズになるはずなのです。
越境ECは、安価に始めることができるから、大きなリスクがありません。リスクが小さすぎて、だれもかれもが戦略もなく安易に始めてしまいがちです。しかし、せっかく越境ECを利用するのであれば、うまく使うことが大事です。越境ECは中国市場の反応をみるためのテスト販売、本格的な販売は中国国内の正規輸入販売で。そんな棲み分けをすることで、商品だけでなく中国の消費者も一緒に育てていけるのです。